運動大好き少女が“ピラティス”にたどり着くまで

私は幼い頃からとにかく運動が大好きだった。保育園の頃はフラフープに夢中で、園の歴代最高回数を叩き出すという、今思えばちょっとマニアックな栄光もある。笑

小学生になると、全校生徒70人ほどの小さな学校で、水泳・陸上・マラソンと季節ごとの大会に強制参加。

水泳は得意で、平泳ぎではいつも上位。

陸上では100mやハードルで愛媛県大会に出場するほどの活躍もあった。

マラソンは正直嫌いだったけれど、“勝ちたい”一心で表彰台に立った。

小学3年生から始めたミニバスは、6年生でエースに。県内でもそこそこ強いチームで、主力としてプレーする毎日が楽しかった。

中学では母と同じバレー部に入部。“一つを極めるよりオールマイティに”そんな思いで選んだ部活。中1からレギュラーとして試合に出ていたが、中2の大会1ヶ月前に大きな出来事があった。

【右肩脱臼】だ。

アタックを打った瞬間、終わった…と思った。あの時の激痛は一生忘れない。ギブス生活で不自由な毎日。ようやく復帰しても、また脱臼。大好きな体育すらできない日々に、自分が嫌になった。結局アタッカーからセッターにポジション変更。打ちたい気持ちはあっても、あの痛みが怖かった。引退まで、恐怖と共に過ごした。

高校では“今度は表で輝く人を支えたい”と、野球部マネージャーに。自分がプレーするわけじゃないけれど、選手のために動くことが楽しかったし、人をサポートする喜びを知った時間だった。

その後、社会人になってからはジムで4年間筋トレに励んだ。とにかくストイックに追い込み、食事制限も意識した。しかし、そのうち「韓国アイドルみたいな体型にはなれないな」と思うように。下半身はがっちり、腹筋もバキバキになっていく。それは努力の証でもあるけど、私の理想とは違った。

そんな時に出会ったのがピラティスだった。最初は、物足りないかな?と思ったけれど、やってみると衝撃だった。呼吸を意識しながら深層筋を整えていく感覚、無駄な力を抜いてしなやかに動く感覚。「私、もっと女性らしい体を目指せるかもしれない」そう思った。

ピラティスを続けるうちに、日常の姿勢や歩き方まで変わり、美意識もどんどん上がっていった。大人の女性らしい“品”を大切にしたい、そう思えるようになったのはピラティスのおかげだ。

今は、そのピラティスを通して、私みたいに理想と努力のギャップで悩んでいる人に伝えたいことがある。体を鍛えるのは“強くなるため”だけじゃない。“しなやかに、美しく、心地よく”生きるためでもある。そんな想いで、今日もレッスンをしている。

ピラティスアヴニール編集部
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